ネットでの実名主義と匿名主義 〜「王様の耳はロバの耳」と叫べる空間の重要性〜

どうも、松浦孝紀(実名)です。


ネットの世界での実名主義・匿名主義という主張は昔から定期的に議論が交わされており、僕はどちらの意見も理解できますが、個人的には両立した空間を求めているので、どちらかというと匿名派ですね。(実名派の人は実名の世界しか頭にないけど、匿名派の人は匿名・実名両方あっていいと考えているため。参考:ひろゆき氏の日記


「ネット上でも実名で表現を」
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/10/post-27.html

 健全な助け合いが本来、ネットメディアの望ましい姿であるにもかかわらず、一部には、過激な中傷があとを絶ちません。「炎上」という形で多数の人から非難された結果、閉鎖するブログもあります。

健全な助け合いは、本来「ネットメディアの望ましい姿」だけではなく、人々の生活全般においての望ましい姿ですよね。ネットメディアはあくまで生活の一部なだけです。でもって過激な中傷は匿名の世界だけに起こっているとも思えないです。実名である現実世界だって、虐めは存在していますし、マスコミも著名人だけでなく、たまに一般人を吊るし上げることだってあります。リアルでも「炎上」に似たことはあるので、ネットの世界も実名のみにしたからといって「炎上」がなくなるとは思えないです。

 しかし、ネットがメディアとしての信頼性を高め、既存のメディアと肩を並べる存在になるには、表現者が自分の名前を開示し、責任の所在を明らかにすることが不可欠だと私は考えています。匿名コミュニケーションのままでは、いつまでもネットは周辺メディアの位置にとどまるでしょう。

ネットの一部分をマスコミと対等するようなメディアに置き換えるのであればいいんですが、ネット全体をメディアとして捉えることがそもそも無理だと思うのですね。一部分だけであれば、アゴラのように実名者のみの空間を作って、それに賛同する人のみ集えばいいのではないでしょうか。

 ネット上で実名主義をとるにあたって、プライバシーをどう守っていくかは、今後の課題です。しかし、自分の名前を開示して、発言に責任を持つことは、相手とのかかわりを深め、理解を求めるための必要条件と考えます。

前提条件がそもそも違うと思うんですね。世の中には、相手との関わりを深めることを必要としていない人もいるわけで。

 ネットを過激な陰口の場にしないためにも、思い切って、実名主義を進めてみませんか。それによって、コミュニケーションが円滑になるほか、ビジネス面での利用の際の信頼性も高まると確信しています。

『匿名=陰口』という図式が、いかにも偏った考え方(ステレオタイプ)に思えて仕方がありません。


授業中、手をあげて発表する人ばかりが意見を持っている人とは限らないです。何か自分なりの意見があっても人前で発表するのが億劫な人だって結構いるはずです。では、その人達の意見にはあまり価値がないのでしょうか?

そういう人前ではちょっと物怖じして発言したくない人にとって、匿名でも意見が言えるネット空間は、それこそ水を得た魚のように日ごろの想いを発信できる場ではないでしょうか。そんな貴重な意見を吸い上げるためにも、匿名の場は必要だと思っています。



また他方で、ダークな空間も人間には必要だと思っています。

多くの人々はストレスを抱えて生きています。それを発散する場は、人それぞれもっていますが、その一つとして匿名であるネット空間は有効だと感じています。人々の現状の不満が可視的にリアルタイムで見れる場というのは他にないですよね。その時代時代の不満を分析・研究することには、それなりに意味があると思うのですが。


そんなわけで、「王様の耳はロバの耳ー!」と大声で言える空間があった方が、それによってストレスを発散できる人のためにもなり、その声を分析できる学者や研究者のためにもなり、今後の人間の生き方を模索する足しになると思ってます。