信用・信頼は時間を節約するということ

壮大なる「よかった確認」

そういう感覚が完全に壊れて、「公に頼らず自分の力で生き抜かなければ!」とか、「マスコミの言うことなんて全く信じられない。自分で情報を集めて自分で考えて判断しなければ!」と思う人が増えれば、日本の未来はまことに明るい。

そうなんですかねぇ。日本のマスコミや政府に対して皮肉を言っているのは分かりますよ。それでも僕はこういう傾向が「良い方向」だなんて思わないです。


僕は東南アジアで仕事をして早7年目、仕事のやり方がつくづく「自分の目でみないことには信用できない」ようになってきました。なので、ベンダーや取引先、お客さんからの情報だけでなく、自分のスタッフからの情報であっても「普通そこまで疑わないだろう」というレベルまで疑う癖が付きました。なもんで、自分のスタッフの言ってることに対して、嘘を付いているわけではないという意味では信用していますが、ただ、その情報の真偽に関してはそのまま真に受けないで、二重・三重に裏の確認を取ります。

でも、これって正直かなり時間の無駄だと思ってます。

信用できるスタッフがいれば、客先や取引先との信頼関係があれば、自分は詳細に関しては無視して要点だけチェックすれば、その今まで裏取りに使っていた時間を他の作業に使えるのです。


アイザック・ニュートン「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」と言ったのは有名ですが、その巨人が仮に虚人だったとしたら?でもってニュートンも巨人を信じなければ、また一から全ての研究をしないといけなかったはずです。
我々人類がここまで文明を発達することができた一番の要因は、"文字"の発明だと思っています。"文字"こそが、人類史上最大の発明ではないでしょうか。"文字"があったからこそ、人類は先代からの知識を引き継ぐことができ、知識を蓄えられ、そして、その知識に基づいて人類は進化することができたのです。


インターネットが現れ、"文字"、つまり"情報"はそこらじゅうに溢れ出しました。ただ、"情報"が膨大に増え溢れかえった分、悲しいことに偽の"情報"も増幅し、人々は混乱をきたし始めました。何を信じていいのか分からない。パブリックの情報さえ信じられるものか分からない。情報の真偽を確かめるためにソースを確認する、そのソースを確かめるためまた別のソースを・・・というようにキリがないのです。

こんな世の中で、本当に良い時代になったと言えるのでしょうか?
せめて一般公開された情報ぐらいは信頼できる世の中になって欲しいものです。。