裕福な国と幸福な国は必ずしも同一とは限らない。

さて、前回GDPというモノサシについて若干言及しました。その続きとして、ではGDP以外の指標をどうすればいいのか、色々な記事から方向性を探って行きたいと思います。
その前に、実は我が国を含む先進諸国でも色々と模索し始めているようですね。

「仏大統領、新経済尺度「幸福度」を提唱 市場・GDP崇拝脱却促す」

−−−<(2009/9/19)記事引用>−−−

フランスのサルコジ大統領は14日、同国政府は社会・経済発展を測定する指標として、従来の国内総生産(GDP)に加えて、医療福祉の充実度、不平等がないか、雇用条件、家族関係などを含めた「幸福度」を用いるつもりだと述べた。

−−−<以上、引用終了>−−−


「GDPよりも「幸福度」…新指標、政府が検討(リンク切れ)」

−−−<時事通信(2010/2/28-14:03)全記事引用>−−−

  鳩山由紀夫首相は28日、首相公邸で菅直人副総理兼財務相仙谷由人国家戦略担当相らと会い、新成長戦略の具体策取りまとめに向け、国民の「幸福度」を調べる方針で一致した。具体的な調査項目を詰めた上で、3月初めにも着手する。
 会談後、仙谷氏は公邸前で「単なる数字のGDP国内総生産)だけじゃない成長をわれわれがどうつくっていくのかと(いうことだ)」と記者団に述べ、新たな指標として検討していることを明らかにした。
 「幸福度」については、昨年12月にまとめた新成長戦略の基本方針でも「国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取り組みを行う」と盛り込まれた。

−−−<以上、時事通信(2010/2/28-14:03)からの引用終了>−−−


「「幸福度」を測ろう=首相肝いり、新指標導入へ−英」

−−−<時事通信(2010/11/16-14:13)全記事引用>−−−

 【ロンドン時事】本当の豊かさを数値化できないはずはない−。
国民が実感している幸福度を示す新指標を導入しようとの動きが英国で出ている。キャメロン首相の肝いりで検討されており、調査を定期的に実施することで政策づくりにも役立てる方針という。
 「豊かさ」を測る代表的指標としては国内総生産(GDP)が知られているが、英紙ガーディアンによると、キャメロン首相は以前、「人生にお金以上に大切なことがあるのは誰もが認めている」と話し、「GDPだけでなく『国民の幸福度』にも関心を払う時代だ」と強調した。
 まだ流動的な要素は多いものの、幸福度を測るため、(1)生活の満足度は10段階で何番目か(2)きのうはどれくらい幸せだったか(3)職場や家庭で男性と女性は平等に扱われているか−などの質問が想定されている。調査の結果は、四半期ごとに発表される方向だ。
 英国以外でも、フランスのサルコジ大統領が昨年、ノーベル経済学賞受賞の米経済学者らの提言に基づき、経済発展を目指す際に幸福度も加味すべきだとの報告書を公表した。ブータンでは既にGDPでなく国民総幸福(GNH)を指標として重視。幸福感を増加させる政策が取られている。

−−−<以上、時事通信(2010/2/28-14:03)からの引用終了>−−−


国の豊かさを計るモノサシを、今まではGDPや経済成長率等のお金を中心とする数値に頼ってきた結果、お金中心の社会が築きあがってしまい、心のゆとりのようなものが失われつつあるように感じ始めたのでしょう。お金だけでは人間本来の意味での「豊かさ」の指標にはならないということで、国をあげて真剣に人間の「幸福度」に取り組もうとしています。20世紀、社会主義を駆逐した資本主義ですが、そろそろこの市場原理主義も限界なんじゃないかなぁと思います。

ということで僕個人的にはこの流れには賛同なんですが、GDP等の経済指標と違い、個人の幸福なんてかなり主観的ですので、判断基準をどうするのかがポイントとなってくるかと思います。有名な例では、ブータン王国が昔から「国民総幸福量」というのを取り入れています。

「ブータン王国に学ぶリーダーシップの形」

国民の幸せを考える時に必要なものは、最低限の物の豊かさは必要であるけれども、それプラス、国民個人の精神的な和が大切である。民を取り巻く家族の和、地域社会の和、それから、人間と大自然との和、そして、国民1人1人が自覚して、アイデンティティとして共有できる歴史、文明、文化が大事である
(中略)
経済成長は目的ならず、経済成長は国民が幸せを追求するための手段のひとつである。手段と目的を取り違えてはいけない。大きな間違いの元になる。成長の速度ではなくて、いろいろな形の人の和を大切にする経済成長の質を、いつも考えなくてはいけない。

「国民総幸福量(Gross National Happiness):経済的に、精神的に豊かであるということ」

ブータンの政策の中では、国民総幸福量には4つの主要な柱があるとされています。それらは、持続可能で公平な社会経済開発、自然環境の保護、有形、無形文化財の保護、そして良い統治です。


日本でも過去、都道府県別に幸福度のランキングを付けようとしていたようですが、廃止されたようですね。

「世界最貧国のブータンもトップクラス 政府導入検討で注目される「幸福度」指標とは」

この指標は、持ち家比率、公園面積、大学進学率などを基準に、経済的な豊かさにとどまらない生活の豊かさを指標として算出するものだったが、ランキングで下位に入った都道府県からの抗議が続出。そのためランキングは廃止されたという経緯がある。

これは、基準が持ち家比率や大学進学率といった、実際、人々の幸福とは直接関係ないから却下されたんではないですかね。中卒であろうが、やりたいことをやっている人は幸せでしょうし、大卒でも特に何も考えずに職に職にあぶれちゃった人は幸せと感じてないでしょうし。持ち家じゃなく借家だって幸せに暮らしている人はたくさんいるでしょう。ある意味経済的な豊かさにとどまっているような気がします。


では、どういったものが指標になるんですかね。ちきりんさんはこのようなアイデアを挙げています。

「人間のための指標」

1.年間自殺者数を現在の3万人から1万人未満に下げる。
2.全年代の失業率を6%未満に下げる。
3.ジェンダーギャップ指数ランキングを世界50位以内に上げる。
4.片親家庭の子供の貧困率を現行の半分にする。

自殺率や犯罪率、特に殺人・傷害件数なんかは幸せな国を計る指標としては分かりやすいと思います。ただ、これは幸せを計るというよりは不幸を計る指標でしょうか。つまり、幸せと感じる瞬間は個々人でかなりバラつきがありますが、不幸と感じるのは結構似通っています。であれば不幸を基準にして、それを減らす努力をすれば、相対的に幸福度が上がったということではないか、という手法なんですかね。


我々にとって幸せとは何か。絶対的な幸せなんてものはないでしょうが、大多数の人が求める幸福を、もっと真剣に考えてみたいと思います。