犬と食肉と人間のエゴ


一番好きな動物は何かと問われれば、僕は文句なしに犬を挙げます。ま、理由は至って単純で、僕が物心付いた三歳のときから17年間、”コロ”という(至極オーソドックスな名前・・)柴犬を飼っていたからです。

一方インドネシアでは、というかムスリムでは、犬は下等動物として扱われているらしく、街中で野良猫はよく見かけますが、野良犬はほとんどいませんし、飼い犬も外国人(特に日本人)以外が飼っているところは、ここジャカルタでは見ません。

僕の知人で、ジャカルタの家で犬を飼っている人がいるのですが、家政婦を探すのに苦労し、やっと犬がいても大丈夫な家政婦が見つかったと思って来てもらったのですが、4日目から何も言わずに突然来なくなったとのこと。犬の存在に耐え切れなくなったらしいです。それほど犬という動物がダメなようで、触ることは勿論、見るのも嫌なのでしょうね。日本人的感覚で言うと、ゴキブリとかムカデとかですかね。大量のゴキブリをペットとして家で飼っていたら、確かにその家の家政婦にはなりたくないですよね。


イスラム教では犬と同様に、豚も不浄な動物として扱われているため、ムスリムの人はご存知の通り豚肉を食べません。もし豚を飼っている人がいれば、多分同等の理由で家政婦さんはなかなか見つからないと思います。


ちなみに、こちらもご存知の通り、インドなどのヒンドゥー教では、牛を神聖な生き物として扱っているため牛肉を食べません。イスラム教徒の豚とは真逆の考え方ですが、食べないという意味においては全く同じです。あと、インドネシアでありながらバリ島では、ムスリムよりもヒンドゥー教徒の方が多いため、豚肉は売っていますが、牛肉はほとんど売っていないらしいです。ジャカルタとは逆ですね。



さて、日本人にとって、ヒンドゥー教徒の牛にあたるのが、犬だと思います。僕はベトナムで犬を食べたことがありますが、それを日本人の友達に話すと、皆さん(特に女性)に「えー、信じられない」とか「かわいそう。。」とか言われます。理由を聞くと「犬はペットだから」とか「かわいいから」とかいう答えが返ってきます。

日本人が動物の中で犬を特別扱いする感覚は、多分、徳川綱吉によって「生類憐れみの令」のお触れが出たとき、特にお犬様が崇められたために、それが現世にまで残っているのかなぁと思った次第です。


余談ですが、兎を数えるとき1羽、2羽と鳥と同様の「羽(わ)」の助数詞を使いますが、この由来について...
 ・獣肉食が禁止されていた時代、大きく長い耳の形状が鳥の羽を連想させることから「兎は獣ではなく鳥だ」と見なして食肉としていたとする説
 ・同じく獣肉食が禁止されていた時代、「兎はウ(鵜)とサギ(鷺)に分けられるから鳥だ」とこじつけて食肉としていたとする説
 ・獲物は耳を束ねて持ち歩き、一掴みにすることを一把(いちわ)、二把(にわ)と数えたことから後の羽(わ)につながったとする説
といったいくつかの諸説があるようです。


色々な動物の肉を食べる、食べない理由はお国柄、宗教柄色々とありますが、それを他人にまで強要するのがシーシェパードです。彼らの持論は「鯨は頭がいいから、食べるな」として、それを捕獲している日本の捕鯨船武力行使で阻止しています。

頭がいいから食べない、頭が悪けりゃ食べる、かわいいから食べない、不細工なら食べる、ペットだから食べない、家畜であれば食べる・・・


結局、人間という生き物は、自分達の都合の良いようにしか解釈せず、私達は常にエゴの中で生きています。そのエゴを自分の中だけで貫き通すのは問題ないですが、他人にまで押し付けるのは如何なものなのかと思った次第です。